「無題」1997 53×42

ガラス絵 1990 18×26

ガラス絵 1990 18×26
尾花成春

ガラス絵 1990 18×24.5

ガラス絵 1990 18×26
尾花成春

ガラス絵 1990 18×26

ガラス絵 1990 18×26
尾花成春

ガラス絵 1990 18.5×29

尾花成春の世界  岩元鐡郎

画家は時々の散策で得た“理もれ木”の欠片(かけら)を持ち帰って丹念に洗い、アトリエの中央に置いて水分の蒸発を持つ。 翌日、乾いた襞を一段と際立たせた“埋もれ木”は、人の恣意による秩序づけを離れたモノそれ自体となって、凛として其処に有る。こうして、画家は人々が日頃見たり聞いたし、云わば、納得させられた事物とは別な姿と対峙し、此処 から、多くの示唆を受け取ることになる。

“埋もれ木” とのこの出会いを、 画面に留めるための旅立ちが始まる。 モチーフは彼の内面で変転する渦を為し、試行が重ねられる。 一が二を呼び、 二が三を引き寄せる。 三は万物を生じ、「万物陰を負いて陽を抱き」画面の 形而上的とも云える下地は、宛ら瀰漫する水の如くに揺れ始める。十数年、 黒の周辺に低く沈思してきた画家の新たな出発がここにある。 しかし、彼の 日常は坦々としていて、此のこと、有るがごとく、無きが如く、虚心水の如し、と受け止める他のない、 晴朗なものとなっている。

「老子」に次のような章句がある。
「三十の輻は一觳(こく)を共にす。 其の無に當りて、車の用有り。 埴を挺して以って器を為る。其の無に当りて器の用有り。戸牖をうがちて以って 室を為る。其の無に当たりて室の用有 。故に 有(存在) の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。」

折りに触れ繙いてきた 「老子」 だが、画家の日々の試みの至近にあって、謂う所の「道」 なる ものが豁然と立ち現れた、という思いを抱いたことがあった。 唯一無二にして、 所詮は非合理な る個々の経験世界を、普遍的な理論に以って記述すること、平たく言えば、理に落ちる話しに 馴れ切っている近代的思惟は、虚の何たるか敢えて知ろうとはしないし、感じ取ることもない。輻がこしきに集められて消え、容器の中空こそがその用を為さしめている、という視点は、轆轆 に立ち上げた土に囚われていては得られまい。 尾花成春もこれと同質のことを語っている。 下地 の黒の上に微細に描いた “埋もれ木”を置くと、黒が動き、 虚が実と改まって、 “埋もれ木 以外 のものを拒むかの如くであった。 画面の中、 俗心に誘われて、 一筆を描き加えれば、瞬時にして 虚と実が反転する。 虚である黒地は、手に負えない別の形相として立ち現れてくる、というので ある。世界が人間にとっての「何」であるか、という矮小な視点を切り捨ててしまえば、此所に 現れた形相とは、人間の全一性、 言葉を換えれば、魂を以って相対する他は無い根源的な存在で あるかもしれない。

ところで、我々の日常は、啓蒙由来の合理的認識と伝統社会からの諸々の帰結を、それぞれ 異質なもののモザイクとして抱え込んでいる。 昔、 人間を人間たらしめていた、聖なるものへの 通路はとうに消滅し、 先に触れた全一性といい魂と謂い、この言葉が湛えていた倫理的含意は 千上がり、 今は全くの死語と化して、些かの感も生まぬものとなっている。 今日、人それぞれ を内から支えているのは、 視る行為は省察を 俟たずして、真実に対面できる、という希薄な了解、 併せて、個別の科学概念に補強された客観的事実への通信なのだ。敢えて直言すれば、時代は この安易なリアリズムのぬかるみとなっている。 嘗て尾花成春が筑後川の河原の、俗世間から
切り取られた部分に執着していたのもこのことを暗に感じ取っていたからだった。
この連作は奔放不属の想像力の所産といえるものではない。むしろ己を虚しくして天地に感応し、眼前の事物に素直な眼差しを向けようとする控えめなもの、 ただそれだけのことなのだ。
「才にして此一筋に繋がり」、 六十年にして、画家は芸術作品に於ける自由、という難題に向き合うこととなった。

永らく、作品に画題を付けることをしなかった画家が、某日、 埋もれ木の連作に共通して 「渓谷 にて想う」と題したいと語っていた。モチーフに触発され、アトリエの雲の如く拡がる懸念、 渓谷の只中に独り立つ己が、身いっぱいに受け止めた世界の立ち現れ、その経験と感動を「渓谷 にて想う」とするのである。

2007年 久我記念美術館 尾花成春「渓谷にて想うこと」

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2022.8.25

アトリエにて(その2)岩元鐵郎

三)アトリエにて(その2)
筑後川の後、しばらくの間、画家は海にモチーフを求めた。所詮は、自然科学的な計測可能性に落ち着いてしまう、空虚な現実感を拒否して、対象とのまっとうな出会いと、その体験の導く可能性を願ったのである。この間の、四、五回のアトリエ訪問には、必ず海の話が出た。海への彼の志向がスケッチブックを抱えての単なる逍遥に止まるものではないことは分かっていた。
 過疎地となった杵築の海で、こんなことがあった。
 波のない入り江の、渚から遠浅の沖へ、黒い栗ほどの石が海面下にびっしりと拡がっていた。画家は裾を上げて、その中に入った。踝を浸す程度で、沖に向かって歩いても、深くなっていかない。彼はある地点に立って、遠く入り江の口にある防波堤を眺めていた。引き潮となり、海水が動き始めた。微かな非連続の音が足元から立ち昇り、やがて海面いっぱいに拡がる音に変わった。海水に曳かれて、石と石が触れ合って発する音なのである。彼は黒石の一個を持ち帰っていた。それを手に取って、私は思ったより軽いと感じた。画家はその後に、石の音を確かめようとして、現地を再訪したのだが、求める音を聴くことはできなかった。自然条件の幸運な重なりがなければ聴くことのできぬ、稀な音だったのだろう。が、石と石が触れ合うとは、理に落ちた一片の説明に過ぎず、この現象と、画家の体験との間に広がる経験の沃野に立ち入ることはない。話を聞いて、私は「荘子」斉物論の天籟(てんらい)という言葉を思い出していた。人が笛を吹いて、曲を奏し、風が山を渡って、山の音となり、松林を吹き抜けなければ松籟、といった意味のことを述べて、
「夫吹萬不同、而使其自己也 威其自取、怒者其誰邪」
 (それ萬を吹きて同じからず、其をして己に自らしむるなり。�  威其れ自ら取る。怒する者は其れ誰ぞや、と。)
と、締めくくり、人籟、地籟、それぞれの音を出さしめている大本を天籟とするのである。
 要するに、天の為せる業、画家は杵築の海で天籟を聞いていたのだ。
 推し進められる生活世界の合理化に従って、最早、人は天籟を天籟として受け止める能力を失いつつある。形而上のいっさいのものが疑われ、取るに足らぬ不確実性とされる状況、これが、画家の孤独な戦いの磁場、つまりは、逆境なのである。
 アトリエを金曜日に訪問することは、避けなければならない。九州交響楽団の団員の二、三人がアトリエで絵を習いに来ているからだ。未だ面識はないのだが、その一人である、女性フルート奏者Tさんの、5千字を超す文章のコピーを、画家に示された。以下はその乱暴な要約である。
 『神戸の人、ニューヨークの音楽院に留学。近代化の過程で制度化されてきた洋楽に対する確信のゆらぎ。留学中、神戸の震災を知る。帰国し、震災の現場に立つ、諸々のエスタブリッシュメントの脆さを眼前にして、価値観の反転を経験、同時に、「音楽は生死の問題に一番近いところにある。」ことも自覚。画家の誘いで平戸で小さなコンサートを持つ、背景には画家の抽象画。聴衆は生のクラシック音楽とは無縁の農民、漁民。「選ばれた空間、魂と魂の対話。」という共感の世界を経験、実在的な覚醒があり、超越的なものへの思いを深めた。』
 自我が、外界理解の中心を保持している限り、人を見るそのまなざしは、ややもすれば、自分を侵す他者と見做しがちである。超越的なものとの接触は、この自己中心性を解体させ、自我を世界理解の為の純粋自我に変換させる。このいわば、ほんものの自己が、人と人の相互理解を志向する対話への道を開くのである。
 Tさんの文章には、このことの経験の幾つかが述べられている。震災の現場に立つ彼女の眼に触れた、人間存在の赤裸な事実、老死、憂、悲、愁、苦、悩、に触発されて、人間への、新たな関心と共感が生まれ、音楽を通じて、今までとは別様の自己が獲得されようとしている。Tさんはいずれ、真の出会いというものに恵まれるに違いない。
 アトリエでの二時間の対話の後は、画家と再びBBに行くことになる、そこで伸吉は昼食に、手っ取り早く、藁草履程のふとかコロッケを供してくれるのだ。
2000年2月 岩元鐵郎

アトリエにて(その1)岩元鐵郎

(三)アトリエにて(その1)

 吉井町を東西に貫流する、寛文以来の用水に沿って東に行くと、観光資源として町に買い取られた豪商のお母屋の隣に、画家尾花成春氏の家が見えてくる。構え、というものの無い、素直なたたずまいで、もとは醤油屋の倉だった。なまこ壁の頑丈過ぎる程の造りを生かして手を入れ、味のある住まいとしてている。招じ入れられるアトリエは後に増築したもので、三十畳程の広さ、描きかけの作品、画材、オブジェがその過半を占め、一隅にある二枚の座布団が、画家と来訪者が落ち着く、アトリエの自ずからなる焦点となっている。

 隣家の棟瓦に一羽の白鷺が立っていた。

 画家はアトリエの窓越しに、さっきから鷺を注視していたらしい。座布団を勧める中腰で、鳥を指差して、

「いつまで見ても、飽かんのですよ。」

と、言う。

 窓枠に限られて、鷺は一枚の絵を為している。画面の半ば斜めに埋める旧家の甍、白鷺、一片の雲もない青空。鷺の頭の羽毛が乱れ、姿勢が動いて、時折、風の過ぎるのが分かる。

「凛然として侵すべからず。原始人にも同じものがあったに違いない。」

画家は頷いた。

「窓枠の内に、甍、白鷺、青空のコンポジションが生じ、凛々しい、という、形而上のものを現前させた。具象性に囚われると、非実在のものが実在となることはない。甍、白鷺、青空の具象性が、偶然、窓枠によって、抽象化され、視る者の内面の現象となったのでしょう。」

 若い頃、画家はメキシコに旅行して、沸騰する植物の群落に対峙する体験を持った。彼は砂漠の植物の目の眩むような存在の背後に、神性と言うべきものを感じ取っていた。この体験は、その後十年の、制作の姿勢を決める要因となり、体験の形象化の為に、筑後川の氾濫原を描き続ける執拗な試行が続いた。七十年代の後半、画家の聖域となっていた氾濫原に、建設省の河川工学が闖入して、その豊かなトポスの意味を一掃してしまう。モチーフを失って後、作品の主観性は益々尖鋭となり、具象性を全く抛棄して、黒が基調となる。対象と体験の間に漂う超越的なものの視覚化、そして、その認識の独自性の表象。これは最早、形而上学そのものと言える。畢竟は、真理を、絵画的に翻訳し、白日の下に曝して見せる、ということだが、この画家として第一級の使命を自らに課して、猶、試行は続けられている。

画家は製作した作品の七、八点近くに並べて、感想を求めた。絵の具に砂鉄と煤を混ぜた堅牢なマチエールの黒地に、天体写真に見る木星の衛星イオを思わせる白が浮いている。見る者はそこに、一応の非実在の形象を視る。しかし、この虚構から導かれる筈の存在の機微は、紙一重で姿を現さない。未踏峯の登頂を目指し、登り登って、頂上を眼前に見て、という思いがした。イオは、やはり現実的なものの単なる表象に止まって、徹底した主観性への沈潜を阻害しているのではないか、と感じた。私は画家に

「画面に何が足りないのか、何が多いのか、それは私には分からない。」

と、言う他はなかった。

 

続く

2000年2月 岩元鐵郎

 

尾花成春展 開催中@ギャラリー安政

2022.7.10